モンスターハンター短編小説|彼女のタマゴ
巣を動けない私を気遣って、ひとり迎撃に出た夫は帰ってこなかった。
おそらく、奴らに殺されてしまったのだろう。
夫の代わりに巣に踏み込んできたのは、小さな二つの影。
知っている。
あれは人間という生き物だ。
私に比べればちっぽけで、非力で、脆弱で、食事にはもってこいの生き物。
だが、彼らは食事であると同時に、この上ない天敵でもある。
様々な生き物の臭いのする奇妙な殻で身を固め、同じく奇妙な武器を構える連中がそうだ。
あれは、奴らが身を守るための鱗であり甲殻でもある。
あれは、奴らが戦うための牙であり爪でもある。
そして巣に踏み込んできた人間は、例外なくそれらを持っていた。
骨がワラのように敷き詰められた巣の中央で、私は口の中の炎をちらつかせて目一杯吼えた。
だが、奴らは怯む様子すらない。
切り返すように、咆哮する私の顔面に何かがぶつかって弾けた。
桃色の液体が顔を流れ、強い臭いが鼻を突く。
私は何度かこれを奴らからぶつけられた覚えがある。
この臭いがある内は、私がどこに行っても奴らは執拗に追跡してくる。
おそらく、奴らの鼻はこの臭いを覚えていて、それを頼りに私を探すのだろう。
だがそんな事はどうでもよかった。
私が――逃げる?
この私が?
バカな事を。
逃げるのは奴らのほうだ。
いや。それすらも許さない。
殺す。
夫が帰ってこない今、この子を守れるのは私だけなのだから。
私は巣から立ち上がり、足元の我が子を踏まないように気をつけて前へと踏み出す。
少しだけ待っていて。あの生き物を殺したら、また温めてあげるから。
私は胸を反らせて息を吸い、奴ら目がけて炎を吐き出す。
熱と衝撃が踊り狂い、轟音が弾ける。
奴らの内の一人が、その隙間を縫うようにして私に駆け寄ってくる。
人間にしては大柄だ。全身に砂色の甲殻をまとっており、両肩からは角が生えている。
目には明確な殺意。
私は素早く旋回し、尾を振り回す。
奴は跳躍してそれをかわし、背中から何かを抜いた。
先端には巨大な塊がついており、その塊から棘が何本も生えている。
それが、尻尾を振り回した直後の私の顔面を上からしたたか殴りつけた。
顔の甲殻がミシリという音を立て、わずかにひび割れた隙間から血が滲む。
痛みのあまり思わず声を上げるが、私はそれを怒りに変えて奴に頭突きを食らわした。
甲殻のヒビが更に広がったが、奴も勢いよく地面を転がっていく。
小賢しい人間ごときが……!
だが息をつく間もなく、私の翼から火花が飛び散った。
「?」
見れば、離れたところにいるもう一人の人間が、こちらに向けて筒のような物を構えているのが視界に入った。
そいつは人間にしても特に小柄で、全身を真っ白い何かの皮で覆っていた。
奴が持っている筒の先端からは細い煙が立ち昇っている。おそらく何かの攻撃を仕掛けてきたのだろう。
だが、奴が撃ち出した何かは私の翼の甲殻にわずかに突き刺さっただけだった。
何のことはない――そう思った瞬間。
翼が、爆発した。
先程殴られた衝撃の何倍もの苦痛が翼に走り、傷口を火炎が焼く。
私は思わずよろめき、意識をハッキリさせようと頭を振った。
何だ、今のは。
今までも似たような物を食らわされた覚えがある。だが、これほどまでに痛いのはなかった。
違う。
これまでの人間どもとは、明らかに違う。
何度も人間どもを退けてきた私の本能が、冷徹に告げる。
このままではやられる、と。
私は踵を返し、巣に駆け寄る。
そして急いで――だが、傷つけないようにできるだけそっと我が子を口の中に納めると、私は傷つ いた翼を広げた。
夫に比べれば、飛ぶのはあまり得意ではないのだけれど。
それを見て逃げると判断したのか、白い方が猛然と何かを発射してくる。
逃げるために無防備にさらされていた腹部の甲殻を食い破り、灼熱の塊が背中まで貫通する。
それを何発も浴びながらも、私は巣穴の上に空いている大きな裂け目から脱出した。
奴らはすぐにでも追ってくるだろう。
だが、やられるわけにはいかない。
私が死んだら、まだ動けないこの子を誰が守ってやるというのか。
だから遠くへ。
奴らが追ってこられないように遠くへ。
気持ちは逸るが、体がついていかない。
額からしたたる血が視界を狭める。
体に開けられた幾つもの穴から、血が流れていく。
傷ついた翼は、思うように風をつかんでくれない。
いくら力を込めて羽ばたいても、高度がどんどん下がっていく。
眼下には大きな河。
その水面がみるみる近づいてくる。
そして、ついに私は河へと墜落してしまった。
冷たい水と無数の気泡が全身を包む。
そこで私の意識は、途切れた。
「責任、持ってくださいね」
開口一番、娘はそう言ったのだった。
暑くもなく、さりとて肌寒くもない、うららかな昼下がり。昼食の喧騒も一段落していたハンター ズギルドの酒場。
カウンターまでとことこと歩み寄った見慣れない娘が発した言葉に、大抵の事には毛ほども驚かな いハンターたちが『しんっ……』となる。
酒場にいた面々の視線は、とある人物に集中している。
娘の前には、カウンターに座っているカイルの姿。
見つめられているカイルは椅子ごと娘に向き直った恰好のまま、完全にフリーズしている。
その娘は二十歳前くらい。小柄で細身。ヒマワリの花びらを思わせる雛色の髪を後ろで結い、鳶色 の瞳が少し垂れ気味のせいか大人しげな印象を受けるが、健康的に日焼けしている。実際は活動的な のだろう。
カイルは、どうにも見覚えの無い娘である。それだけは確かだ。
だが、それはおそらく問題ではない。
一同が驚いている理由は、娘の腹部にある。
どこかの組織の制服だろうか、濃紺の仕立てのいい服の腹部が、ぽっこりと膨らんでいるのだ。
肥満していれば腹部が出ていても分からなくはないが、娘は腹部以外はほっそりとしており、それ だけに余計に目立つ。
そして、先ほど娘が発した『責任、持ってくださいね』という言葉。
この娘が余分な脂肪が全て腹部に集中するという特異体質でも無い限り、導き出される結論はただ ひとつ。
つまりこの娘は、妊娠している……!
『えぇえぇ〜!?』
糸が切れたように一斉に驚愕の叫びを上げる酒場の面々。
「カイルが……あの朴念仁のカイルがか!?」
「よくよく考えてみれば、お前も男だったんだよなぁ」
「彼を何だと思ってたのよ?」
「いや、なんか大刀振り回す生き物、とか」
「何気に失礼な発言ね……」
「できちゃった婚、最近流行ってるしねぇ……」
「否! そもそも妊娠を契機に結婚という姿勢そのものにそれがしは反対する! 婚前は純潔を守っ てこそ!」
「うわっ、古ぅっ!」
「お堅い頭は切り取って漬物石にするわよ?」
「やるのう若いの。ワシの若い頃にそっくりぢゃて」
「てめえ……シュフィちゃんというものがありながら……!」
「……そっち方面のハンティングもできるってわけね」
「俺ァてっきり、アイツは木と石で出来てるんだとばかり……」
「ここぞとばかりにみんな言いたい放題ですな……」
「いやー、普段そっち方面は全っ然興味ないって顔してる人ほど実はスゴイらしいじゃないの」
「つまりムッツリってこと?」
口々に勝手な事を言いまくるハンターたち。
「あらぁ、これでカイルもお父さんねぇ」
給仕をしていたベッキーは、興味深そうにカイルと娘� ��眺めている。
「ほー。なかなかやるじゃねえか、カイル」
ジュードはカウンターに頬杖をついたままニヤニヤしている。
「え……だって、カイルさん……その……ええと……」
ランディはカイルとシュフィを交互に見ながらオロオロしている。
「カイルがお父さんお父さんって事はあの人は妊娠してるって事で妊娠してるって事はお腹の中に赤 ちゃんがいるって事で赤ちゃんがいるって事は十ヵ月と十日前にあーんな事やこーんな事してるわけ ではうあう……」
シュフィなどは錯乱状態で脈絡の無い独白をしている。
「違うっ! 断じて違うぞっ!」
人生の――というか人としての尊厳のピンチに立たされ、うろたえまくるカイル。たとえ鎧竜十頭 に囲まれたとしても、彼はこれほど揺らぐまい。
「男らしくねーぞカイル!」
「そーよ! そのコと添い遂げなさいよっ!」
「っていうかむしろ責任とって切腹だ、切腹っ!」
「そんな可愛いコ手玉に取りやがって! うらやま……もとい、許せん!」
「まったく、可哀想でしょっ!」
「悪魔!」
「鬼畜!」
主に女性ハンターからの、なにやら圧倒的な非難轟々。
仲間は助けてくれそうもなく孤立無援。
カイルは脱水症状になるのではないかと思えるほどの滝の汗をダラダラ流して立ち尽くすしかなか った。
その時。
「……あのぉ」
問題の娘が、不意に声を上げる。
「……彼女、大丈夫でしょうか」
言われてそっちを見れば、さっきまでブツブツ独白していたシュフィが真っ白になって石化してい た。
『……シュフィ?』
反応なし。
一同がぽかんと見つめる中で、シュフィは後ろにふらりとよろめき――
ごちんっ!
カウンターの角に後頭部を思いきり激突させ、そのまま動かなくなった。
あの場にいてはラチが開かないので、とりあえずメンバーの中で一番広いジュードの部屋にシュフ ィを担いで逃げ込んだカイルたち一同。
ひとまず気絶しているシュフィをベッドに放り出し、ホッと息をつく。
「どうぞ」
「あ、すみません」
娘はランディが差し出した紅茶を受け取り、ぺこりと頭を下げる。
「……で、今日はウチのカイルに何の用なんだ? 養育費の話かい?」
「…………ジュード」
立ち昇る殺気。ジュードは『冗談だ』とでもいうように両手を上げる。
「あの、さっきから妊娠とか養育費とか、何なんですか?」
娘が不思議そうに尋ねる。
「あんた、カイルに結婚を迫りに来たんだろ?」
「……私、彼とは初対面ですけど」
「はあ?」
訳が分からないジュード。娘は居住まいを正し、咳払いをすると� �
「私は王立飛竜生態保護監察局の監察官で、スズナといいます。カイルさんたちのパーティに、取り 急ぎ依頼したい仕事がありまして、この街まで来ました」
「だってあんた、さっき責任がどうとか言ってなかったか?」
「ああ、さっきのですか? あれは責任を持って依頼を受けてくださいね、という意味で――」
「余りにも省略しすぎだろ!」
思わず叫ぶジュード。
「何がですか!? あの流れから言ったら絶対仕事の依頼じゃないですか!」
がたっと席を立って喚き返すスズナ。
「ならその腹は何なんだ!? 妊娠以外ありえねえだろ!?」
その指摘に、スズナはすとんと座ってしまう。
「あの、じゃあさっきの騒ぎって……」
「……みんなそう思ったんだよ」
呆然としていたスズナの顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
その顔� ��両手で覆うと、
「……ああっ、もうお嫁に行けない!」
「……ある意味シュフィ以上の天然だな」
「なかなか古風な落ち込み方ですねぇ」
ジュードとランディがしみじみとつぶやく。
スズナが立ち直るのを気長に待ってから、カイルが口を開く。
「で、俺たちに依頼したい仕事とは?」
「…………これです」
スズナは濃紺の上着のボタンを外していく。
現れたそれを見て、三人の顔が驚愕に染まった。
ちょうど彼女の腹部に納まっていたもの。
それは、淡い桜色をした大きな卵だった。
「うわぁ……なんですか、それ」
ランディが興味津々といった風情で聞く。
「形や重量からして、リオレイアの卵ではない� ��と当局では推測してます」
リオレイア。
この世界の食物連鎖の頂点に立つ飛竜種の中でも、リオレイアはとりわけ凶暴な部類に入る。
ちなみに雄はリオレウスと呼ばれ、かの飛竜が赤い体をしているのに対し、リオレイアは深緑色の 鱗に覆われている。
「リオレイアの卵って言ったら、普通は黄色がかった白色じゃないですか?」
「ええ。ですから、おそらく突然変異種のものです」
「希少なもの、というわけか」
カイルのつぶやきに、スズナはうなずく。
「で、その卵を誰かに届けるってのが、あんたが俺たちに依頼したい仕事ってことだな」
結局は痴話喧嘩でなかったので、ジュードが少しつまらなさそうに聞く。
「そうです」
「その相手とは? 貴族か? 医者か?」
飛竜の卵は美味なため、愛食している美食家は多い。また栄養価が高いため、薬などの成分として も重宝されているのだ。
「いいえ、母親に届けて欲しいんです」
「……母親? あんたの?」
「いいえ、リオレイアです」
沈黙。
「冗談……だよな?」
ジュードのつぶやきに、スズナは首を横に振る。
「本気ですよ」
「……聞いたことねえよ、そんな依頼」
「なにせ当局でも初めてのケースですから」
「そもそも、飛竜生態保護監察局……だっけか、俺は少し前まで王都にいたが、そんな組織は耳にし たことがねえな。どういう組織なんだ?」
「……お言葉ですけど、私たちが何者かは依頼の遂行に関係ないのでは?」
「悪いが、背後関係の分からない依頼は受けないのが俺たちの方針でな」
カイルのきっぱりとした言葉。スズナはカイルの青い瞳をじっと見つめ返していたが、やがて意を 決したように言葉を紡ぐ。
「当局は、一年前に王室の求めで結成された組織です。強大でありながら数の少ない飛竜種の生態を 観察し保護する事で、自然との共存を図っていこうというのが活動の目的です。具体的には巣の位置 や産卵数の把握、テリトリーの範囲の調査などです」
「なるほど。俺たちとは正反対、というわけか」
王室の考えそうな事だ、とカイルは思った。
以下、少々ややこしい話をする。読むのがヤな人は次のセンテンスまですっ飛ばしてOK。
王室は、原則としてハンターズギルドの存在を認めていない。ギルドは王室非公認の組織なのだ。
この世界で食物連鎖の頂点に立つ飛竜種はもちろん、その他のモンスターも人間にとって脅威だ。
ハンターが存在する以前から黎明の時代は、王国騎士団が多くの脅威から民衆を守っていたのだが、 ハンターたちが技術の向上に伴って武器や防具にモンスターの素材を用い始めた頃から徐々にその力 関係は逆転していった。
伝統を何よりも大事にする保守的な騎士団と、依頼達成と生き残る確率を高めるために試行錯誤を 繰り返して進化し続けるハンターズギルド。両者の立場の逆転は当然だった。
王室としては、今でも王国騎士団こそが民草の守り手だと言いたいのだろうが、現実に人々からの 依頼を受け、モンスターを狩っているのは今やほとんどがギルドに属するハンターたちである。そし てその事実を民衆も認識しているわけで、王室はそれが気に入らない。
王室の権威をもってすれば、ギルドを解体する事は可能かもしれない。だが反乱でも起これば一大 事である。ハンターには単独で飛竜すら屠る者がいるからだ。
そして、モンスターたちの脅威がある限り、ハンターズギルドの存在は不可欠である。
そこで王室はハンターズギルドに非公式ながら依頼を回し、ギルドはその褒賞金の高い依頼を取る 代わりに現在の立場――つまり、王室に逆らうことなく、今までどおりモンスターを狩る『だけ』の 組織――を堅持する事を了承している。
つまるところ両者は、火花の散らない対立関係にあるのだ。
ここで、iは、ファブリックパターンの書籍を購入することができます
要するに。
権威を取り戻したい王室としては、民衆の生活を狩りという手段で守ることによって支持を得てい るハンターズギルドとは、正反対かつ効果的な何らかの行動を起こす必要があるということだ。
そこで王室が考え出した次の手が、スズナが属している王立飛竜生態保護監察局なのだ。
モンスターを狩ることでその脅威を克服しようとするギルドに対し、生態を知ることで彼らの脅威 を管理しようというのだ。
ハンターたちとは正反対の立場から民衆を守ろうという姿勢は、なるほど、見ようによっては新鮮 で魅力的に映る。
ただ、カイルたち現場の人間から言わせれば口にするのもバカバカしい話だ。あれらはコントロー ルなど受け付けるような殊勝な存在ではない。 とはいえ、権力者どもの思惑など知ったことではない。こちらに累が及ばない限り、何でも勝手に すればいい。ギルドと王室の関係がそういう方針の上に成り立っているのだから。
「この卵は、近くを流れるスバナ河の下流で発見されました」
スバナ河はこの街の近くに源流を持ち、王都まで流れる大河だ。
「希少種の卵ですので、サンプルとして研究材料にという話も局内では持ち上がったのですが、やは り親元に帰そうという決定が下されました。この街の西のジャングルにある村の近辺で親と思われる 飛竜が目撃されているため、巣はその辺りにあると推測されます。ただ問題は、巣へ踏み込まなけれ ばならないので相当の危険が伴う事です。私たちの組織はまだできて日が浅いので、そういった危険 な仕事を請け負うチームがないのです。そこで、皆さんを頼ってここに来ました。詳細はここに」
スズナは一枚の紙を差し出した。そこにはクエストの内容が詳細に書かれていた。
『運搬クエスト(パーティ指定):リオハートの卵を巣へ戻せ
指定パーティ:登録番号 m25220t
報酬:40000z(成功報酬)
指定地:カラエの熱帯林
制限期間:なし。ただし可能な限り早急に
依頼主:王立飛竜生態保護監察局
特記事項:なし』
「このリオハートってのは?」
ジュードの素朴な疑問。
「通常の個体と差別化を図るための名称ですよ」
「なるほどな」
書類の書式は正式なものだった。不備も特に無い。た� ��し――
「ギルドの認め印がないですね」
ランディが横から覗き込みながら言った。
「え?」
スズナが目をしばたかせる。
「僕たちハンターに依頼するには、まずギルドマスターに話を通さないとダメなんですよ」
「そうだったんですか……? 私はてっきり……」
「もしかしてあんた、新人か?」
ジュードが聞くと、スズナは頷いた。
「実はこれが初仕事なんです」
「……不安だな、いろんな意味で」
カイルがこめかみに汗を浮かべながらつぶやく。
その時。
「いかんのう、ワシを差し置いて依頼内容を聞き出すとは」
『!?』
全員の視線が部屋の一角に集まる。
尖った耳。黄土色の顔には歳相� ��のしわが刻まれているが、白く長い眉毛の下の目には歳不相応の鋭 い光が宿っている。
小柄ながら、圧倒的な存在感。
マスターはブランデーを注いだグラスを揺らしながら、ゆったりとした足取りで一同のテーブルまで 近づいてくる。
「…………ジジイ、鍵は掛かってたはずだが?」
妙に押し殺した声でジュードが聞く。
「ほっほっほ、ワシはこのギルドのマスターじゃぞ。造作も無いことじゃて」
「……具体的には?」
「ゲストハウスのマスターキーを拝借したんじゃ」
そう言って、マスターはブランデーの最後の一滴を飲み干した。
ジュードはこめかみをピクピクさせながら言葉を紡ぐ。
「じゃあもうひとつ聞くが、てめえが今飲み干したそのブランデーは俺が王都にいたとき苦労して手に 入れた逸品で、今まで封も切らずにすっ…………げえ大事にしてたって事は知ってたか?」
マスターはきょとんとして、空っぽになったビンを眺める。
「そうじゃったのか? まあ気にするでない。何なら飲んだワシの感想でも聞くかの? 深味のある甘 味の中にもかすかに苦味があっての、なかなか美味かっはぅあ!?」
言い終わる前に目よりも高く持ち上げられ、首を締め上げられるマスター。
「ちょっ……ちょっと待てジュード、おぬし、仮にもここのマスターであるワシに……」
「マスターだかマスタードだか知らねえけど、やっていい事と悪ィ事があるだろが……!」
「……老い先短い老人に、ささやかな……楽しみをくれてもよかろう……に……」
「その老い先がいつまで続くってんだ? 今ここで断ってやる……!」
「や、やめ……ホントに……死ぬ…………」
「死ね……死んで詫びを入れろ……ぐぬぬぬ……!」
マスターの顔色が黄土色から赤に、赤から青に、青から紫に。
心拍数ギリギリ。呼吸� �ロ。まさに極限状態。
「そろそろやめておけ、ジュード。完全に極まっている。死ぬぞ」
「ジュ、ジュードさん! もうそのくらいで……」
「るせぇ! 締め殺して酒樽にマムシみたくビン詰めしてやる……!」
ちなみにスズナは、いきなり始まった修羅場にオロオロするばかりだ。
「分がった! ……ワシのコレクションの中から好きな物を一本やるがら……」
「一本だぁ……?」
「二本……いや、三本……!」
それを聞き、ジュードはあっさりとマスターを開放した。
「げほっ……ああ……危うく三途の河を渡るところじゃった……」
「いっそ渡っちまえ」
「……敬老精神が欠落しとるのう、おぬし」
「けっ、知るか。それより、約 束忘れんなよ」
マスターは改めて深く息をすると、気を取り直してテーブルの上にある依頼書を眺める。
「あんたがスズナさんかい? 話はあんたの上役から聞いておる。こやつらならこなせるじゃろうて」
そう言ってマスターは懐から認め印を取り出し、ポンと依頼書に押した。
「ありがとうございます」
スズナはそういってぺこりと頭を下げた。
「いいだろう。この依頼、引き受けた」
カイルが頷いた。
ふと、ジュードが思いついたようにスズナに聞く。
「依頼を受けるのは構わねえが、いいのか? 俺たちハンターの手を借りても」
「ですよね。王室としては自分の統括する組織の手で実績を作りたいでしょうし」
ランディが同意 する。
「ああ、それですか。それなら大丈夫です」
スズナがさもありなんといった風情で頷く。
「私も同行しますから」
沈黙。
ジュードとランディが同時に『がたっ!』と席を立つ。
「危ないですよ!」
「遊びじゃねえんだぞ!?」
産卵期から子育てを終えるまで、リオレイアは特に気性が荒くなる。その巣へ踏み込もうとするの だから、危険は平時の比ではない。
それにもかかわらず、スズナは平然としてこう言った。
「でも、お二人の言うとおり、これは私たち監察局の手で戻さなれば意味がないですから。ご心配な く、自分の身は自分で守りますから」
『…………』
呆けたように口を半開きにする二人。
「……五人パーティは、禁忌なんだが」
マスターをちらりと見やりながら、カイル。
「それもご心配なく。このコを入れれば六人ですから」
『どのコ……?』
「このコです」
そう言って、スズナはお腹に抱えた桜色の卵を撫でる。
それはそれは、愛しそうに。
ある意味、あの第三王女よりも難物かも知れんな――カイルはため息混じりにそう考えた。
どのようにcrochetagiftん。
街から約二日半。
カイルたち四人とスズナ、それに卵を含めた一行は、スバナ河をさかのぼるべくカラエの熱帯林最 寄りのベースキャンプを出発した。
むっとするような、湿気の多い暑さが体にまとわりつく。大小さまざまな樹木が鬱蒼と生えており、 視界を覆っている。そのため太陽は見えず、葉の間から差し込む陽光がまるで薄いレースのように揺 らめいている。あちこちから鳥や獣の鳴き声が反響し、ここが生命の坩堝であることを声高に主張し ているようだ。
「やっぱ、ここの暑さは慣れねえな。砂漠のほうがカラッとしてる分まだマシってもんだぜ」
角槍〈ブロスホーン〉を背負い直しながら、後方を警戒しつつジュードがぼそりとつぶやく。
彼の槍は、ねじれた角を削り出して造られる業物だ。
彼が身につけているのは、鎧竜グラビモスの素材から造られる鎧。岩と見まごうような、ごつご つしたシルエット。多少重いが防御力が高く、また盾役が多いランス使いにとっては飛竜の突進に吹 き飛ばされないだけの重量も立派な武器になる。もっとも、今は少しでも暑さを緩和するため面頬を 開けているが。
「暑さはともかく、問題はこの湿気ですよねぇ」
ジュードに同意するのは、並んで歩くランディだ。
彼の武器は、片手剣〈スタンエッジ〉。剣というよりは鉈に近い形状だが、牙のように並んだ刃は 火竜の翼爪が用いられている。翼爪には溝があり、柄部分に仕込まれた麻痺袋から強烈な麻痺毒が染 み出す仕組みだ。
身につけているのはイーオスの素材で造られる鎧。ただ、鎧の裾を短く切り詰め、足の動きを阻 害しないように工夫してある。外見からは分からないが繊維にはマカライト鉱石を織り込んであるの で、防御力は一般のものよりも高い。遊撃役を担う事が多い片手剣使いは汎用性と機動力が命だ。
パーティリーダーであるカイルは言葉を発することなく、黙々と先頭を歩いている。
カイルの防具はレウスメイルだ。雄火竜リオレウスの鱗と甲殻で作られた、深い赤の鎧。
背負う大刀の銘は〈新月〉。
手に馴染むよう柄には革が丁寧に巻かれており、飾り気は無いが丈夫な鍔からは幅広で厚みのあま りないシャープな刀身が伸びている。高純度のマカライト鉱石で構成されたその直刃は、濡れたよう な深い光を放っている。
「スズナ、大丈夫?」
桜色の卵を抱えているスズナに向かって、シュフィが気さくに話しかける。ちなみにシュフィは目 が覚めてから事情を説明してもらっているので、何とかショックから立ち直ったらしい。
シュフィの武器は、ライトボウガン〈フレア・ストーム〉。
竜骨【中】を削り出し、火竜の鱗と甲殻で強化してある。ロングバレルを装備してあり、遠距離か らの射撃でも弾道のブレが少ない。多くの火薬を使用する強装弾――拡散弾は撃てないが、代わりに 多くの補助弾を使用可能だ。
防具はレイアレジスト。大きく膨らんだスカート状の腰装備が特徴で、高い防御力と耐火性を誇る。 何より、女性ハンターには嬉しい軽量さも兼ね備えている。
「まだまだいけます」
卵を抱えたまま、スズナは答える。
ちなみにスズナは武器を持っていない。防具も、監察局支給の防弾チョッキのようなものを身につ けているだけだった。
リオレイアの卵は少なくとも5kgある。エプロンのような革製の袋に入れて抱えているとはいえ、 結構な負担になるはずだ。だがスズナは移動中の馬車内でも卵を膝の上から手放そうとしなかった。
「キツくなったら言えよ。代わってやるから」
「ええ、ありがとうございます」
ジュードの言葉に、笑顔を返すスズナ。
「よっぽど大事なんだね」
「ええ、初仕事ですし。それに、こうやって暖めてあげないと」
「そうなんだ? 人の体温で孵るものなの?」
「ええ。リオ種の体温は、私達に近いんです」
「へぇー、よく知ってるんですねぇ」
ランディが感心しながら頷く。
「そういえば、スズナさんって幾つなんですか?」
「16です。今月の末に17になりますけど」
『16歳!?』
黙々と歩いているカイル以外が、驚きの声を上げる 。
監察官になるためには試験がある。しかも『王立』と銘打ってあるからには、その資格は国家試験を 突破しなければ与えられないわけで。
「その歳で国家資格持ってるってか?」
「ええ。12歳から勉強を始めて、今年試験を受けて。でも二級監察官ですから、一級や特級に比べると 劣りますけど」
「それでもすごいよ!」
「僕と同い年なのに……」
「えらい違いだな、おい」
そう言って、ランディの頭をぽんぽん叩くジュード。
「ぽんぽん叩かないでくださいっ!」
いきり立つランディ。
その時。
会話に加わる事もなく黙々と先頭を歩いていたカイルが、突然立ち止まる。
「……カイル? どうしたの?」
「気づいているぞ。コソコソしていないで、姿を見せたらどうだ?」
尋ねたシュフィに向けた言葉ではないようだ。
「……ふむ。では、言われたとおりにするとしよう」
野太い声と共に、前方にある大木の陰から人影が現れる。
大柄な男だ。2メートルはある。
ただ上背があ� ��だけではない。身につけている鎧の隙間から垣間見える筋骨は発達しており、大岩の ような印象を受ける。
男が身につけているのは、ディアブロスの素材から造られる鎧だ。砂色の強固な甲殻と肩から生える 角が猛々しい防具。見た目どおりの凄まじい防御力を誇り、肩の角は使い方次第で武器にすらなる。
兜を被っているので顔は分からないが、声からするに50手前ほどであろうか。
「……何者だ?」
こんな場所での誰何にどれほど意味があるのかは分からなかったが、カイルはとりあえずそう聞いて みる。
「俺はヴォルト。見れば分かると思うが、ハンターをしている」
「奇遇だな。俺たちもハンターだ。だが、あんたがここで別口のクエストをこなしていて、偶然俺たち に会ったとは言わせない」
この日、このフィールドにギルド発行の他の依頼はないはずである。
「察するに、流れのハンターか」
ギルドに属さず、個人的に依頼を受けて狩りをする者――それが流れのハンターだ。
パーティ指定の依頼をこなさなくていい分、ギルドのハンターよりも自由である。狩場を移る時にも 手続きはいらず、報酬をギルドにピンハネされることもない。
ただ、衣食住すべてを自分で用意しなければならない上、依頼も自分で探さなければならない。ギル ドに属しているほうが圧倒的に恩恵は多いのだ。施設は充実しているし、依頼は酒場に行くだけで手軽 に探せる。
それでも流れのハンターが存在している理由。
それは、非合法な仕事の需要が尽きないからだ。
殺人。強盗。ギャングやマフィアの用心棒など。
一般に、流れのハンターのイメージには悪評がつきまとうのはそのためだ。
「ふむ。お見通しというわけか」
「慣れない気配がついてきていたからな」
「なるほど」
「腹の探り合いは得意じゃないんだ。率直に聞こう。あんたの目的は?」
「目的か? それはな――」
ばしゃっ!
ヴォルトの言葉に被さるように、液体が弾ける音が響く。
卵をかばうように身を固くしているスズナの眼の前。
彼女を守るようにかざされた〈新月〉の刀身に、べったりと桃色の液� �が付着している。
「……ほう」
ヴォルトの口から感嘆の声が漏れる。
「……言い忘れていた。俺が感じた気配は二つだ」
カイルは〈新月〉を肩に担ぎ直して平然と言った。
「身のこなしから出来るとは思っていたが、想像以上だな。小手先の技は通用せんか。ティティス、何 発撃っても同じだ。降りて来い」
「……ちぇー」
残念そうな声と共に、ヴォルトが隠れていた大木の上から、小さな影が彼のディアブロメイルの肩に 降り立つ。
「当たると思ったのにぃー」
小さな口を尖らせてぼやくのは、小柄な女の子だった。
肩で切り揃えた、外側にハネている髪は白金色。くるくるとよく動く大きな瞳は蒼色。丸みを帯びた 頬の輪郭。どう見ても6、7歳くらいにしか見えない。
身につけているのは、フルフルという飛竜の素材から造られる鎧だ。ただし鱗や甲殻ではなく、独特 の弾力と伸縮性を持つ白い皮が用いられている一風変わった防具である。兜は被らず、耳に外見に似合 わぬ大人っぽいシルバーの耳飾りをしている。
その背中に背負っているのは、へビィボウガンだ。
サイズからして竜骨【大】から削り出した銃身に何かの皮を用いて強化してあるようだが、その皮の 正体は分からない。短い産毛のようなものが生えているのだ。見慣れない型だ、とシュフィは思った。
「遠くから撃てばよかったかなぁ?」
「遠距離狙撃用のスコープを忘れてきたのは誰だ?」
「ぶー。そーいうパパはお芝居ヘタっぴ」
「やかましい」
『…………パパ?』
カイルたち一同の口から漏れたつぶやき。
つまり、流れの親子ハンター、という事だろうか。
「……ティティス、その呼び方は誤解を招くからやめろとあれ程言っただろう」
「じゃあ、パパりん」
「駄目だ」
「パピィは?」
「断じていかん」
「ダディ」
「二文字目に『ン』が入るといい感じだ」
「いやん。やっぱパパでいーや。きーまり♪」< br/> 「俺の意志は既に無視か……」
「……コントなら他でやってくれねえか?」
ジュードが呆れ気味に言って寄越す。
「そうはいかん。俺たちの目的は、その娘が持っている卵だからな」
「!」
スズナが身を強張らせる。
「……どうして知っているんですか?」
「依頼者以外には、聞かず、答えず。依頼を受けたからには、それをただ遂行するのみ」
「つまり、退く気はねえと?」
「愚問」
そう言って、ヴォルトは背中からハンマーを抜いた。
一見、グラヴィトンハンマーに見えたが、それよりもさらに一回り大きい。
色は漆黒。巨大なハンマー頭部は滴る血のような真紅の筋が走っており、刃のような短い突起が何本 もはえている。
見た目だけでも、ただのハンマーでない事は分かる。
「俺にやらせろよ、カイル」
〈新月〉を手に前へ出ようとしたカイルの肩に手を置き、ジュードは好戦的な口調で言った。 カイルはわずかに逡巡し、
「……気をつけろ」
「分かってるって」
ジュードはリラックスした様子でヴォルトに向かって歩きながら、背中から〈ブロスホーン〉を抜く。
「パパ、お手伝いはー?」
ヴォルトの肩から飛び降り、ティティスが尋ねる。
「必要ない」
「ぶー」
頬を膨らませるティティスから、ジュードに視線を移す。
「お主たちも退く気は無い、と?」
ヴォルトの問いに、ジュードは兜の中で獰猛な笑みを浮かべ答える。
「……愚問、なんつってな」
次の瞬間、ジュードの槍が唸った。
一切攻撃の前兆を見せずに繰り出した槍の穂先は、ヴォルトの肩を正確に狙っていた。
だが。
身をひね� ��たヴォルトの肩の装甲をわずかに削りながらも、〈ブロスホーン〉の穂先は空を切る。
「ぬん!」
カウンターで突き出されるヴォルトのハンマー。
「ぐっ……!」
盾を掲げたジュードの体が、三メートルほども押し戻される。
追いすがるように、次々と打撃音が重なる。
衝撃に、盾を持つ手がびりびりと震える。
「ジュードさん!」
助太刀に向かおうとしたランディの肩を、カイルが強くつかむ。
「カイルさん……?」
「いくな。一対一だ」
「でも……!」
カイルは無言のまま、顎で岩に座っているティティスを示す。
ティティスは足をぷらぷらさせながら、二人の方を見てにこっと笑ってみせる。
一見、� ��邪気にヴォルトとジュードの戦いを観戦しているように見えるが、その右手は背中のボウガ ンのスリングを握ったままだ。いざとなれば即座に展開できるように。
「今、お前がジュードに加勢すれば、向こうにも理由を与える事になる」
「でも、あんなに小さな子じゃないですか……絶対、僕の方が――」
「初めて組んだ時、俺はお前の事を子どもだからという理由であなどったか?」
それを聞き、ランディは己の油断を恥じて赤面した。
「……すみません」
カイルは無言で頷いた。
「おおっらぁっ!!」
風切り音すら立てて突き出される槍。
火花と甲高い接触音が響く。ハンマーの頭部に軌道をずらされ、またも外れる。
だが。
ジュードは左足を更に踏みこみ、腰の回転を活かして〈ブロスホーン〉を薙ぎ払った。
槍� �に肩の角を殴りつけられ、ヴォルトがよろめく。
ジュードは盾をかざしたまま前面へ突き出し、ヴォルトを弾き飛ばす。
「ぬうっ……!」
ヴォルトの口からうめきが漏れるが、彼はハンマーを地面に叩きつけて踏みとどまる。
「……どうよ?」
〈ブロスホーン〉を構えたまま、ジュードが得意げに口を開く。
ヴォルトの口から、含み笑いが漏れる。
「やるな、お主。あのような槍の使い方、初めて見たぞ」
それを聞き、ジュードは自嘲的な口調で、
「正統派だけじゃやっていけねえ、フクザツな事情があるんだよ」
「そうか……なら俺も、相応の礼儀をもって返さねばな……」
そう言って、ヴォルトは体をバネのようにたわめ、力を溜め� �める。
「させるかよ!」
そう言って、ジュードが再び突進の構えをとった、次の瞬間。
「……岩砕散牙撃!」
裂帛の気合いと共に、ヴォルトは近くにあった岩を横から殴りつけた。
瞬間、岩が砕け、無数のつぶてとなってジュードの全身を打った。
幾重にも重なる衝突音。
ジュードの突進が、停まる。
「が……っ!」
盾をかざしてはいたものの、到底防ぎきれる数ではなかった。
ジュードはよろめき、だがそれでも、
「……う……おおおぉっ!!」
突き出された槍の先端は、虚しく空を切った。
振り下ろされたハンマーが、〈ブロスホーン〉を半ばから折り砕く。
「!」
切り替えして繰り出された� ��り上げ攻撃が、ジュードの腹にめり込んだ。
「ジュード!」「ジュードさん!」
「……散れ」
地の底から響くかのような、ヴォルトのつぶやき。
打ち上げたジュードを叩きつけようとした瞬間。
ヴォルトが大きく身を横にひねる。
左肩の角が、根元から切り飛ばされて地面に転がった。
カイルが一気に踏み込み、〈新月〉で突きを繰り出したからだ。
「ランディ!」
鼓膜を殴りつけるかのように逼迫した、カイルの合図。
「目をつぶってくださいっ!」
次の瞬間、閃光が弾けた。ランディが投げた閃光玉の効果だ。
体勢が崩れていたヴォルトと、背中からボウガンを出そうとしていたティティスは反応が遅れ、モ ロに閃光を食らった。
「んにゃあぁ!? 目が、目がチカチカするぅ!」
もんどりうって地面をゴロゴロ転げまわるティティス。
「……ぬう」
ヴォルトは左右の目を交互につむることで視力の回復を早めつつ、周辺の気配を探った。
「逃げられたか……」
ハンマーを背中に固定しながら、それにしても、と思う。
あのジュードという男は強かったが、あのカイルというレウスメイルの男も、相当な実力を持って いるようだった。トドメを刺すために気を取られていたとはいえ、重量のある大刀を使っていながら、 最後の突きは全く見えなかった。
「この仕事、久方振りに骨がありそうだ」
そうつぶやき、ヴォルトは兜の下で心底嬉しそうに口の端を歪めた。
「……これでよし、と」
焚き火の灯りを頼りにジュードの手当てをしていたランディが、ふうっと息をついた。
「すまねえな」
「どういたしまして」
ジュードは包帯を巻いた上から、あちこちヒビの入ったグラビドメイルを着込む。
ケガが打撲程度ですんでいたのは幸運だった。鎧の硬度がハンマーの刃の侵入を防いだのだ。だが、 衝撃までは殺せなかった。逆に言えば、あのヴォルトというハンターはグラビモスの甲殻すら一撃で 砕く力を持っているということである。
ここはスバナ河沿いにある小さなくぼ地だ。五人が焚き火を囲んで座れるくらいしかない。
「スゴイ二人でしたね」
「……いろいろな意味でな」
救急キットをしまいながらつぶやくランディの言葉に、ジュードが皮肉げな一言を付け足す。
さてどうするか――カイルは腕を組んだまま考え込む。
途中で立ち寄った村にいた、親飛竜を見たという人物から聞いた話では、目的の巣まではもう半日 もかからないだろう。
だが。
「俺の槍は折れちまったし」
〈ブロスホーン〉の損傷はひどく、工房でも修理がきかなそうだったので逃走の際にあの場に残して きた。今、手元に残っているのは、盾だけである。
「どうします? これから」
ランディが心細そうに尋ねる。
「……依頼は卵を巣に戻す事だ。うまくかわそう。奴らとまともにやりあわなくてはならない理由は 無いからな」
カイルは言った。
「そうだな。そうすりゃ俺たちの勝ちさ。絶対ェ、借りは返すけどな」
武器を破壊されたというのに、さして感情的ではないジュード。
確かに、ここ数年愛用してきた武器だ。愛着はあるし、悔しいとも思う。だが、命よりも大事とい うわけではない。ハンターは依頼の遂行にさえ貪欲であればいいのだ。戦いを生業としている戦士で はないのだから。
「でも問題は、そのペイントだよね」
シュフィのつぶやきに、一同は頷く。
〈新月〉に付着したペイントは、洗っても細かい泥を塗りつけてもまったく落ちなかった。何か特殊 な薬品でも調合してあるのだろう。このままでは、再び発見されるのは時間の問題だった。
「……だから俺が別行動をとる。奴らをひきつけている内に、みんなは依頼を完遂してくれ」
「そんな、危ないですよ、ひとりなんて」
ランディが反対の声を上げる。
「他に名案は?」
「…………」
一同に、声は無い。
「決まりだな」
そう言って、カイルは立ち上がった。別行動を取るなら早いほうがいい。
「お前の事だから死ぬ心配だけはしねえ。でも、無茶はすんなよ」
ジュードが突き出してきた拳に、カイルは自分の拳を突き合わせて応える。
「……すみません」
スズナが申し訳無さそうにつぶやく。
「あんたのせいじゃな� �。仕事はちゃんとこなす」
「……カイル」
シュフィが不安そうにつぶやく。
「……大丈夫だ」
迷いの無い、いつもどおりの強い瞳。
だから大丈夫。きっと大丈夫。
「あ、待って、カイル」
そう言って、シュフィはポーチからペイントの実を取り出してカイルの肩で潰す。
あとで合流するにも、居場所が掴めなくてはならない。
「はい、これで大丈夫」
シュフィは微笑んだ。
カイルは頷き、
「焚き火は消しておいたほうがいい。位置が知れる――」
そう言って、背中を向けた瞬間。
その手が〈新月〉を握り、頭上を横に薙ぎ払った。
絶叫の二重奏。
それだけで状況を理解したランディた� ��も一斉に武器を抜き、スズナを守るように半円陣を組む。
カイルの足元に倒れているのは、イーオスだった。
直立したトカゲのようなその体躯は、濡れたような光沢をもつ毒々しい赤。
よく似た姿と群れで狩りをするあたりはランポスと同系統のモンスターである事を示しているが、 彼らのほうが数段手強い。
体力や身体強度、跳躍力はランポスよりも優れており、何より厄介なのは彼らが吐き出す猛毒だ。
よってたかって毒を吐きかけ、弱らせた獲物に殺到するのがイーオスの狩りの方法だった。
不意打ちが失敗して動揺しているのだろう。暗闇の向こうから、幾重にも重なる甲高い咆哮が聞こ えてくる。
「……かなり大きな群れみたいですね」
〈スタンエッジ〉を構えたまま、ランディの口から緊張した声が漏れる。
「来るぜ」
剥ぎ取りナイフを逆手に構えたジュードが、口の端をゆがめてつぶやく。
闇のカーテンを跳ね上げ、イーオスたちが殺到してくる。
「はぁああぁっ!!」
踏み込み、イーオスを袈裟懸けにするカイル。
繰り出された銀の弧は、獲物の首を斜めに斬断する。
切っ先の軌道を変え、慣性に任せて一回転。彼に飛び掛ろうとしていた二頭がさらに倒れる。
「くっ!」
吐きかけられた毒を盾で防ぎ、ランディはイーオスの喉笛を切り裂く。絶叫と共に飛び散る鮮血。
噛み付こうと伸ばされた長い首を横� �かわし、ジュードは跳ぶ。
「ナメんなっ!!」
滞空したまま、剥ぎ取りナイフをイーオスのこめかみに突き刺すと、悲鳴すら上げずにイーオスが 地に倒れこむ。
的確に使えば、ナイフ一本でも十分な武器になるのだ。
前衛三人が届かない標的を、シュフィが次々と撃ち抜いていく。
的確に、そして迅速に。頭部や胸を貫かれたイーオスが、悲鳴と共に倒れていく。
十頭ほど倒した時、さすがに被害を無視できなくなったのか、イーオスたちは未練がましい声を上 げながら退いていった。
「退いたか……」
ジュードは頬の返り血を拭いながらつぶやいた。
安堵の空気が流れかけた、その時。
「…………どうして」
低いつぶやき。
見れば、スズナが顔をうつむけ、肩を震わせている。
「どうして、殺したんですか……!」
「スズナ……?」
突然豹変したスズナに、一同は驚く。
上げられたスズナの顔には、明らかな怒りの表情があった。
「追い払う事だってできたはずです! どうして殺したんですか!? それもこんなに!」
辺りにはイーオスの死体が転がっており、早くも死臭を放ち始めている。
「音爆弾だってこやし玉だって、使い方次第で追い払う道具になるのに! どうして あなたたちハン ターは殺すことしかしないんですか!?」
「じゃああのまま死ねばよかったってのかよっ!?」
スズナの声を打ち消す、ジュードの怒声。
「今の状況じゃ、ああでもしなけりゃ奴らは退かねえ! 効果も定かじゃねえ道具に、命預けろって のかよ!?」
「そうは言ってません! でも、私たちの知恵はもっと有意義に使うべきです!」
「使うさ! もし奴らと仲良くお話できりゃあな!」
「とにかく、危険だから殺すなんて短絡的な論理に私は賛同できません!」 「誰もお前さんの意見なんざ求めちゃいねえ! 現場を知らねえ監察官様は黙って守られてりゃいい んだよ!」
ついには涙さえ浮かべて、スズナが言い返そうとしたその時。
彼女の頭上に、影が差す。
見上げた先にいたもの。
退いたはずのイーオスだった。
いや、違う。
二回りほども大きな体。頭部には、奇怪な形状のトサカが生えている。
ドスイーオス。
退却は擬態だったのだ。
部下たちに戦わせる一方で、自らは獲物の懐まで忍び寄り、退却したと見せかけておいて獲物が油断 したところを一気に襲いかかったのだ。
一同が武器を手に彼女を駆け寄ろうとする。シュフィはボウガンをドスイーオスに向けるが、スズナ に近すぎて射撃できない。
「スズナ!」
むき出される牙。振り上げられた鈎爪。
スズナは目をつむり、卵を庇うように身を硬くすることしかできなかった。
その時。
カイルがスズナに当て身をくらわせ、その場から無理矢理引き剥がす。一瞬遅れて、ドスイーオスの 鈎爪が濡れた地面を引き裂く。
カイルとスズナはゴロゴロと斜面を転げ降り、スバナ河に落ちる。
真っ黒な流れが、二人を飲み込んだ。
「カイルさん! スズナさん!」
「てめえっ!」
ジュードが投げた剥ぎ取りナイフが、ドスイーオスの横腹に刺さる。
ドスイーオスは勝ち目無しとみて、闇の中へと溶け込んでいった。
「ちぃっ! ランディ、二人は見えるか!?」
「いえ……暗くて……」
スバナ河は、闇に覆われて墨が流れているようだ。流れはそうきつくはないが、幅が大きく、何より 支流だらけだ。
ジュードは苦い顔をしていたが、やがて意を決したように言う。
「二人を探すぞ。さっきシュフィがつけたペイントの臭いを頼りにするんだ」
「う、うん」
「分かりました」
不安を押し込め、頷くシュフィとランディ。
「いや、ランディ、お前は別行動だ。ふたりは俺とシュフィで探す」
「え……?」
言われ、ランディは目をしばたかせる。
「ふたりを見つけた後、俺たちが卵を巣まで持っていかなくて済むようにな」
私は小さな山間の村に生まれ、そこで育ってきた。
私はまだ幼かった。
今思えば、辺境の村には物珍しい物などなかったが、あの頃の私にとって村と周辺の自然は、目に するもの全てが目新しい物ばかりだった。
だから。
あの時――森の中で翼を持った小さな赤い生き物を見つけた時、私は目を輝かせた。
「わぁー!」
私は駆け寄ってしゃがみ込み、しげしげとその生き物を観察する。
大きさはだいたい柴犬くらいだ。
大きな頭。それに反して小さな手足と体。おまけ程度の短い尻尾。全体的に丸っこくて、ころころ とした印象。
「かわいいー!」
その子はうずくまったまま、怯えと恐れの入り混じった大きな青い瞳で私を見上げている。
なぜ逃げなかったのかはすぐに知れた。
「……ケガしてるの?」
見れば、その子の後ろ足には血が滲んでいる。ケガはそれだけではなく、あちこちが擦り切れたり 引っかき傷になっていたりしていた。
「オウチはどこ? おとーさんは? おかーさんは?」
犬のおまわりさんのごとくあれこれ質問する私。
しかしその子に通じるはずもなく、ただ私を見上げて生え揃わない小さな牙を見せながら唸ってい る。
もっとも、近くにその子のお父さんかお母さんがいたら、今頃私は生きていなかっただろうけど。
私はしばらく考えた後、こう切り出した。
「じゃあ、わたしが治したげる!」
そうと決めたら話は早い。私はその子に手を伸ばした。
「ガウ!」
「あっ」
伸ばした手を、その子の爪のついた前足が払いのける。
ちくっとした痛み。
見れば、掌に小さな切り傷が走っている。
じわじわと薄く血が滲み始め、突くような小さい痛みが広がってくる。
小さな傷でも、痛いものは痛い。
私は泣きたくなった。村に走って帰りたい衝動に駆られる。
「うう……」
でも、どうしてもこの子をこの場に置き去りにする 事ができなかった。
だから。
「……怖くないよ?」
傷ついた方の手を、もう一度差し出す。
「怖いことしないよ? だから、一緒に行こ?」
それでもなお、その子は警戒するように唸っていた。
私は、辛抱強く待った。
傷口から血が一滴したたったが、私はそれを拭いもしないで待った。
やがて。
その子が首を伸ばし、私の掌の傷を舐めた。
そっと。いたわるように何度も。
嬉しかった。
私はそっとその子を後ろから抱き上げ、自分の家まで連れて帰った。
とりあえず庭の隅にその子を隠し、台所で夕食の準備をしていた母に声をかける。
「おかーさん」
「あら、お帰りなさい」
「お� �ーさん、ケガしちゃった」
言って、私はあの子に引っ掛かれた掌を差し出す。
「あらあら、大変。すぐに消毒しなくちゃね」
私が外で遊んでケガをするのは毎度の事だったから、母は苦笑しながら棚から薬箱を取り出す。
「まずは外の井戸で洗ってらっしゃい」
「今日は自分でするからいいよ」
「え、でも……」
「いーの、自分でできるから」
目をしばたたかせる母の手から薬瓶と絆創膏を取ると、パタパタと外へ出る。
庭の隅で待っていたあの子を再び抱き上げ、井戸まで連れて行って水で傷口を洗ってやる。
薬を塗って、絆創膏をぺたりと貼る。
「これでもうだいじょぶ」
私はそう言って、今度は自分の傷も手当てする。
「ほら、お揃い」
絆創膏を貼った手をその子に示してみせると、その子は応えるように鳴いてくれた。
「あ、そうだ。あなたの事、何て呼ぼうか」
名前がなければ呼ぶ時に不便だ。
私は数秒考えた後、手を打った。
「えっと……リリィ。あなたの名前はリリィ。どぉ?」
それは、以前私が飼っていた猫の名前だった。
「よし、あなたはこれからリリィね。決まり!」
満面の笑みを浮かべ、私は言った。
今考えれば、無邪気だったと思う。
子どもとはいえ、リリィはあの雄火竜リオレウスだったのだから。
飛竜という種族の恐ろしさは大人たちが話しているのを聞いた事があったが、実感はなかった。
そのときの私は、リリ� �が飛竜だと知ってはいたが、恐ろしいなんて思わなかった。子犬を拾った ような感覚だった。
それから、私の生活にリリィという新しい友達が加わった。
リリィの寝床は、村のはずれにある水車小屋の下。そこにワラを敷いた。
餌はいろいろリリィの前に置いて試したところ、生肉が好物なようだった。
2、3日後には、リリィは歩けるようになった。
そこで私はリリィを連れて、リリィに会った場所まで行った。リリィの親に会えないかと思った からだ。
でも、それは失敗に終わった。
「いないね、リリィのおかーさん」
もしかしたら、リリィはひとりぼっちなのかも知れない。
そう思うと、たまらなかった。
「リリィ、わたしと暮らそ? わたしが世話したげるから」
本当のところ、私はリリィと離れたくなかった。
だから、リリィのお母さんがいなくてホッとしているのも事実だった。
ずっと――ずぅっとリリィと一緒にいられる。
幼い私は、これが続くものだと信じて疑わなかった。
そう。この時までは。
その日の夜。
夕食後、私はいつものように生肉を乗せたお皿を持って村の隅にある水車小屋に向かった。
「……リリィ」
私が呼ぶと、リリィは床下から這い出してくる。私が呼んだ時だけ出てくるように言いつけたおか げかどうかは分からないが、リリィはそのとおりにしてくれた。
「はい、ごはんだよ」
皿を置くと、リリィは前足で器用に肉を押さえつけて食べ始める。
ケガが治ってから、リリィの食欲は増す一方だった。
拾ってまだ数日なのに、心なしか体も大きくなったような気がする。
「そろそろ、おかーさんに飼ってもいいか聞いたほうがいいかな……」
隠しておくのも、そろそろ無理だろう。
「大丈夫だよね。リリィはこんなにかわいいもんね」
食べ終えたリリィが、私にじゃれついてきた。
少しお肉臭い舌で、私の顔を舐め回す。
「こら、リリィ。くすぐったいよぉ……ダメだったら……あはは」
食事の後は、少しだけでもリリィと遊ん であげる事にしていた。
リリィは、私にじゃれつくときは必ず爪を立てないようにしてくれた。体のトゲトゲが少しチクチ クしたけど、それくらいは何ともなかった。
じゃれついてくるリリィと戯れていた、その時。
複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。
たくさんの松明やランプの明かりもだ。
私は慌ててリリィを背後に隠す。
現れたのは村の人たちだった。
「ここにいたのか、スズナ。心配したぞ」
先頭にいた父が、ホッと胸を撫で下ろしながら近づいてくる。
「あ、ごめんなさい。ちょっと遊んでたの」
私はリリィが見つからないように、座ったまま無理に背伸びしながら答える。
「お母さんも心配してるぞ。さあ、帰ろう」
そう言って、手を差し伸べてくる。
でも今立ち上がったら、リリィの事がバレてしまう。
私が迷っ� �いると。
「では、後はよろしくお願いします」
父の言葉の意味を、私は理解できなかった。
私を心配して探しに来てくれた――それは分かる。
でもなぜ、こんなに大勢の人たちが一緒にいるのだろう。
なぜみんな、棒切れや木を切るための斧を持っているのだろう。
私には理解できなかった。
「スズナ、少しオイタが過ぎたようだね。でも大丈夫だよ。さあ、そこをどきなさい」
一緒にいた村長が、ナタを手に言った。
それを聞き、私はすでに彼らがリリィの事を知っているのを悟った。
もともと、子どもの秘密など長続きするものではなかったのだ。
余分に減る保存庫の肉。
夕食後に必ずいなくなる自分。
� ��びから帰ってくる時には見つからないよう村の囲いの穴を通っていたが、それすらもずっと目に つかないはずはない。
痕跡は幾つもある。
バレないはずがなかったのだ。
「…………いや」
「スズナ……?」
「いや。どかない。みんなリリィに何する気なの?」
「スズナ、『それ』は危ないんだ。今はこんなに小さいが、すぐに大きくなる。そうしたらお前を襲 うようになるんだぞ? そうなる前に――」
「『それ』なんて呼ばないで! この子にはちゃんとリリィっていう名前があるのよ! それに、リ リィはそんな事しないもん!」
みんなが何を言っているのか、私には理解できなかった。
だが、みんなしてリリィに怖いことをしようとしているのは漠然と理解できた。
だから私は、頑として動こうとしなかった。
村長はため息をつくと、父の耳元で何かを言った。
父は頷くと、私を私の腕ごと抱き締めた。
いつものような抱き締め方ではなかった。まるで私を動かすまいとするかのような――
「……連れて行け」
村長のその声が、私の心臓を冷たく締め上げた。
大人たちが毒蛇を捕まえるための〈サスマタ〉という道具を手に、リリィににじり寄る。
リリィは四肢を踏ん張って威嚇するが、はかない抵抗だった。
大人たちが殺 到する。たちまちリリィの姿が見えなくなった。
人垣の向こうから、リリィの悲鳴が響く。
その声が、私の頭を殴りつけた。
「リリィ!」
私はメチャクチャにもがいたが、父は私を離してくれなかった。
やがて、村人の一人が頑丈で大きな麻袋を引きずっていく。袋が激しくもがいていることからして、 あの中にリリィがいるのだろう。
袋を引きずる人を先頭に、武器やランプを持った村人たちが後に続く。
その姿は、まるで怪物の集団に見えた。
いつもは優しい村の人たちが、まるで違う生き物のように見えた。
「やだ! 連れてかないで! リリィを助けて!」
必死に叫ぶが、誰一人として振り向いてくれる者はない。
「離して! お父さん離してよぉ! このままじゃリリィが……リリィがぁ……!」
涙を流しながらもがく私。必死に父から逃れようとするが、大人の力に子どもがかなうはずが無い。
「仕方ないことなんだスズナ……! 人と飛竜は相容れない存在なんだよ……!」
娘の気持ちと、村の安全――そのふたつの間に立っている彼は、� ��渋の表情で暴れまくる娘を抱き締 めている。
だが幼い私には、そこまで考える事はできなかった。私にリリィを助けさせないために押さえつけて いる――そうとしか考えられなかった。父の言葉も全く耳に入らない。
「リリィ……リリィーーーーッ!!」
「はっ…………!」
唐突に、目が醒めた。
「……気がついたか」
傍らには、焚き火をつつくカイルの姿があった。
「カイルさん、ここは……?」
「川沿いにある洞窟だ。とりあえず安全みたいだから、ゆっくり休め」
「あの……ありがとうございました。また助けていただいて。カイルさんが引き揚げてくれなかったら、 とても助かりませんでした」
「助けたのは俺ではない」
「え……?」
スズナは目をしばたかせる。
「助けてくれたのは、ヴォルトたちだ」
「え……えぇ!?……それってどういう……」
「……気がついたか」
声を聞き、理解するよりも早く体が動く。
カイルは傍らにあった〈新月〉を握り締めながら跳ね起き、その切っ先を相手に突きつける。
〈新月〉の切っ先を感慨もなく見つめているのは、ヴォルトだ。
「カイルちんったら、せっかちさんだにゃ」
そばの岩に座って足をぷらぷらさせながら、ティティスが呑気につぶやく。
「……なぜ、助けた?」
切っ先を微動だにせぬまま、カイルは低く聞く。
「お前たちと� �敵対関係にあるが、それは契約を達成する上での事。俺たちが受けた依頼は、あくまで その卵の奪取だ。お前たちを殺すことではない」
「……それだけか?」
「それだけだ」
「…………」
カイルは黙って〈新月〉を下ろした。
「思わぬ邪魔が入ったが、お前たちとはもう一度戦いたいものだ。ではな」
ヴォルトはそれだけ言い、ハンマーを肩に担ぐと立ち上がって洞窟の外へと歩いていく。
「あ、待ってよー、パパってばー」
ティティスは岩から飛び降りると、ヴォルトの後をとてとてと追いかけていく。
と、振り返って、
「カイルちん、半日経ったらまたカイルちんたちのこと追っかけるからね。楽しみに待っててねぇ」
「……さっさと失せろっ」
ティティスは懲りずにニコニコしながら手を振ると、洞窟の外へ消� ��ていった。
「……というわけだが」
「どういうつもりなんでしょう……?」
「俺にも分からん」
その気があれば、卵を奪っていくこともできたはずなのに。
話を聞く限り、流れの違法ハンターという悪名から湧き起こるイメージよりもよほど潔いような気が する。堂々としているといったほうがいいだろうか。
「あ、卵……!」
そう言って、慌てて抱えていた卵を確かめるスズナ。
「あぁっ……!!」
その口から、絶望的な悲鳴が漏れる。
「どうした?」
「ヒビが……」
見れば、卵にわずかなヒビが走っている。もとより、飛竜の卵は殻が厚く丈夫だ。叩きつけでもしな い限り、直ちに割れてしまうような深刻なものではなかったが……。
「中の幼竜はほとんど形作られているんですが、それだけに今が一番デリケートな時なんです。ちょっ とした衝撃でもどうなるか……」
「すこし待っていろ」
そう言って、カイルは洞窟を出て行った。
しばらくして帰ってきた彼の手には、腹部だけになった巨大昆虫ランゴスタと、大きな葉っぱが一枚。 カイルは葉の上に握っていた砂利を落とし、ランゴスタの腹部からドロドロの液体を搾り出す。
それを丁寧に練り、スズナが抱えている卵のヒビに塗りつける。
塗りつけた砂利は、みるみる硬化していった。
モンスターの体液を利用した、即席のセメントである。
「これでしばらくはもつだろう」
「はい……」
それでも、スズナは心配そうに、卵をそっと撫でている。
ずっとカイルは疑問だったのだが、スズナはただならぬ愛情のかけようである。
そう、まるで――
「私がなんでこんなにこの卵を大事にするのか、カイルさんたちには不思議でしょうね」
スズナがつぶやく。
「……ああ、まるで自分の子どもを心配しているよう だ」
「……カイルさん、実は私、子どもの頃にリオレウスを飼っていたんです」
唐突な告白。さすがのカイルも思わず聞き返す。
「なんだって……?」
「ああ、もちろん、生まれたばかりの幼竜でした。名前はリリィ。私によくなついていて、とても可愛い 子でした」
スズナは目を伏せ、遠い昔のことのように語る。
「今も昔も、飛竜は恐怖の対象でしかないけれど、私にとってリリィは一番の友達でした。でも、村の人 たちにとっては、リリィもただの飛竜でしかなかったんですね。大きくなって村の脅威になる前にって……それで、リリィを…………」
殺されてしまったのだろう、おそらく。それ以上語ろうとしないスズナの口調からも、それは容易に想 像できた。
「父はあの時『人と飛竜は相容れない存在なんだ』って私に言いました。でも私にとっての真実は、リリ ィを抱いた時に感じたあの温かさなんです。人と飛竜が戦う事しかできないなんて、そんなの信じません。
まだ新人だし、何も知らない小娘の戯言だって笑われるかもしれませんけど……私は私の納得できるやり 方で、彼らと向き合っていきたいんです」
聞けば、大半の者が奇麗事だ、そんな事は世間知らずの言う事だ、と笑うだろう。
だが、溺れても卵を離さなかったスズナのひた向きさを見ているカイルは笑わなかった。
戦い方は人それぞれだ。剣を振るう事が、ペンを走らせる事よりも優れているわけではない。壊す事が、 作る事よりも勝っているわけではない。
「……頑張っているんだな」
それを聞き、スズナは少し意外そうな顔をする。
『頑張れ』とは何度か言われた事があるが、『頑張っているな』と言われたのは初めての経験だったから だ。
言葉の上では少ししか違わないけれど、込められた気持ちは大きく違う言葉。
相手の努力を認めてあげるための言葉。
「そろそろ行こう。動けるか?」
「あ、はい。大丈夫です」
差し出されたカイルの手を借り、立ち上がるスズナ。
「……必ず届けるから、お前も頑張って」
ヒビの入ってしまった卵を撫でながら、スズナは願うようにつぶやいた。
「うう……イヤだなぁ」
岩盤に口をあけている洞窟を前に、ランディはつぶやいた。
地図によれば、この洞窟も飛竜の巣穴として適しているようだ。
中からは何やら唸り声のようなものが響いてくるし、どうやら当たりらしい。
「だいたいどうして、僕ばっかりモンスター� �引きつけ役をしなくちゃならないんだろう……」
単身でリオレイアの巣穴に潜り込んで、おびき出して来いだなんて。
しかも無傷で。
正直言って怖い。正直に言わなくても怖い。
弱気の虫を鎮めるために、逡巡する事しばし。
「よしっ、行くぞっ!」
意を決し、巣穴へと突撃していくランディ。
数秒後、轟音のような咆哮と、身も世もなく搾り出される悲鳴が洞窟にこだました。
「……この巣穴もハズレか」
暗闇の中から陽光の下へと出ながら、カイルはつぶやいた。
カラエの熱帯林には、いくつか飛竜の巣穴として適した洞窟がある。それを上流にさかのぼりながら親飛 竜を探しているのだが……。
その時。
「……いや。当たりだ」
かけられる声。
カイルの手が、無意識に〈新月〉の柄を握る。
洞窟を出たところで、ヴォルトがハンマーを手に待ち構えていた。
「あんたか……」
「依頼の品、いまだお前たちの手にあるのを見て安心した。それに、どうしてもお前と戦いたかったのでな」
「行きがけの駄賃、か?」
「否。あれ程の踏み込み。一瞬しか見ていないが、尋常ではなかった。それが理由だ。非合法の仕事をして いればしばしばこういう機会はあるが、これほど心昂ぶるのは久方ぶりよ」
「……あんた、難儀な性格をしているな」
「自覚はしているが、この歳になると変えようもない」
その時。
「カイルっ!!」
横合いの茂みから飛び出してくるシュフィとジュード。
どうやらシュフィのペイントが役に立ったらしい。
「ジュード、ランディは?」
「訳あって別行動だ! あいつのことだからうまくやるとは思うけどな!」
「……三対一だ、ヴォルト」
それを聞き、ヴォルトは不敵に笑う。
「それがどうした? うちのティティスを忘れていないか?」
言われれば、あの少女の姿が無い。
「この程度の状況、あれにかかれば積み木遊びも 同然だ。頼りになる相棒よ」
おそらくは、中距離以上のどこかから狙撃してくるつもりだろう。
「シュフィ!」
「は、はい!」
「お前に任せる! 頼んだぞ!」
頼んだ――その言葉がシュフィの体に力をみなぎらせる。
「わ、分かった! 任せて!」
〈フレア・ストーム〉を抜いたシュフィと盾を持ったジュードが離れていく。
「……スズナ、離れていろ」
カイルは言いつつ、〈新月〉を抜いた。
覗き込んだスコープの中に、離れていくふたりを映っている。
「んにゃ? あたしを見つけるつもりかなぁ?」
仰向けに寝転がってヘヴィボウガンを構えているティティスは、呑気につぶやいた。
「でも、見つかるかなぁ」
ティティスがいるのは、高台の岩場の上だ。それも植物がうっそうと茂っており、体勢の低いティティ スは完全に周囲に溶け込んでいる。
無論彼女は、ここまで自力で崖を登ってきたのだ。ヘヴィボウガンを背負った七歳にそんな事が可能な はずが無い――普通はそうだろう。
だが『ネコマタ』というモンスターから取れる素材で造られた彼女のへヴィボウガン〈エンジェル・フ ェザー〉は、せいぜい2kg程度しかない。
ちなみにこのモンスター、極東の島国にしか生息しない貴重なモンスターである。
「パパの邪魔はさせないよん」
そう言って、ティティスは引き金を引いた。
ギィンッ!
とっさにかざした〈ブロスホーン〉の盾に、弾丸が当たって跳ね返る。
「くそっ! どっから撃ってきやがった!?」
「止まったら狙い撃ちにされる! 走り続けて!」
「お、おう!」
普段とは違うシュフィに圧倒され、ジュードはおとなしく指示に従う。
(上から撃ってきた。あの子はたぶん、高台のどこかから私たちを狙ってる。発砲音よりも着弾のほうが 早かったから、距離はそう無いはず。後は――)
もう一発。今度は足元で泥が跳ねた。
見えない相手からの狙撃というのは、想像以上に撃たれる側にプレッシャーを与える。
だがシュフィの心は、不思議と平静なままだった。
カイルが『任せる』と言ってくれた。
だから、必ず期待に応えてみせる。
「ぬぅん!」
横薙ぎに振り回されるハンマー。
かざした〈新月〉の表面を、据えられた刃が火花を散らして削り取る。
カイルは後ろに跳躍し、いったん間合いを取る。
「いい刀だな、カイルよ。銘を教えてもらえんか?」
「……〈新月〉」
「よい名だ。目には見えぬが、そこに確在する月とはな。お主の闘気も同じ事よ」
「なに……?」
「俺には分かるぞ。おぬしの体から立ち昇る、隠しきれない闘気が。涼しげな顔のわりには激情家のよう だな」
言いながら、ヴォルトはハンマーを構える。
「俺も同じ心地だ。もっとお前の力を見せろカイル! さすれば俺の闘志も……この〈破獄飯綱(はごく ・いづな)〉もより猛るというものよ!」
〈破獄飯綱〉――それが彼のハンマーの銘なのだろう。
カイルが大刀を下段に構えたまま突進する。
「はあぁぁっ!」
踏み込んだ足の下の地面が抉れる。
上下から繰り出された攻撃が激突し、金属音と火花が飛び散る。
互いに武器を押し合うふたり。だが力はヴォルトのほうが勝る。カイルは徐々に押し込められ―― カイルは刀身を傾け、ハンマーの軌道を巧みにずらした。
体勢を崩すヴォルト。その側頭部へ、カイルの回し蹴りがまともに決まる。
「ぐぉっ!」
だが無様に地面に叩きつけられる事はなく、ヴォルトは素早く身を起こす。
休む暇など与えない。カイルは一気に間合いを詰めながら、横薙ぎに〈新月〉を振るう。
その刀身が、カイルの体もろとも打ち上げられる。
切り返しで振り下ろされるハンマー。
身をひねったカイルの肩に衝撃。雄火竜の肩当てが砕け散る。
カイルは体勢を崩しながらも、大刀を振り下ろした。だが〈新月〉は、地面に半ば埋もれている〈破獄 飯綱〉の柄を斬りつけただけだった。
先に立ち上がったヴォルトの蹴りが、カイルのみぞおちに突き刺さる。
吹き飛ばされながらも横薙ぎに大刀を振るうカイル。だがその一撃を、ヴォルトは弾く。カイルは地面 を長々と転がっていく。
「くっ……はぁ……はぁ……!」
片膝をつき、荒い息をこぼすカイル。口の端の血を拭い、血の塊を『べっ』と吐き出す。
「……そろそろ、ケリをつけるとしようか」
ハンマーを腰だめに構えながら、ヴォルトがつぶやく。
「ああ……」
〈新月〉を腰のあたりに構え、カイルは答えた。
「にゃぁ、またハズレたしっ!」
じれったそうにつぶやきながら、ティティスは新たな弾丸を装填する。
既に10発も撃っているのだが、どうにもあの盾が邪魔なのだ。
「今度は貫通弾だし、絶対終わりにするもんね。まあパパから殺すなって言われてるから、足を狙うけど」
そう言って、ティティスはスコープの中で懸命に走� ��ている盾の下部――ジュードの足の辺りに狙いを定 める。
「はい、おーしまいっと」
だが、次の瞬間。
〈エンジェル・フェザー〉の銃身に、立て続けに二発の銃撃が走る。
さらに稼働部にも一発。
「おわきゃぁ!?」
あまりにも突然の不意打ちに、ティティスはひっくり返って悲鳴を上げる。
そのティティスに、茂みから出て来たシュフィは〈フレア・ストーム〉を向けて言った。
「手がかりは、銃撃の時の射角と着弾までのタイムラグ。やっと見つけたよ、ティティスちゃん」
葉っぱやクモの巣が引っかかったシュフィをぽかんと見上げ、ティティスは言った。
「あちゃ〜、負けちった」
ハンマーの特殊な攻撃として、回転攻撃がある。自らを重心として、ハンマーを連続回転させて相� �を打 撃するものだ。
だが、ヴォルトのこれは――
「……旋嵐鬼神撃!」
巻き上がる砂煙。低く響く風音。
まるで竜巻のごとく猛然と迫ってくるヴォルトの回転攻撃。
とっさにかざした〈新月〉から、凄まじい勢いで火花が飛び散る。
スタミナを激しく消費するこの攻撃はそう長く続くはずがないのだが、ヴォルトの回転攻撃はとどまる事 をしらない。
絶え間なくたたきつけられる衝撃に、防御しているにもかかわらずカイルの全身が悲鳴を上げる。
カイルは一旦大きく間合いを取ると、一気に踏み込んで〈新月〉を振り下ろす。
くぐもった金属音。
「ぐはっ……!」
吹き飛ばされたカイルは、背後の岩盤にたたきつけられる。
右手は辛うじて〈新月〉を握ってはいるが、手足が痺れ、動かない。喉の奥から鉄錆びの味が込み上げて くる。
「どうやら、俺の勝ちのようだな」
「…………」
「殺しはしない。だが、腕の一本くらいは潰させてもらうぞ」
「……そいつは、無理な相談だな」
「なに……?」
不意に、〈破獄飯綱〉の柄が折れる。重い音を立てて頭部が落ち、柄だけがヴォルトの手元に残る。 「まさかお主……初めからずっと武器だけを狙って……?」
「あんたを退かせるには、これしかないと思った……」
苦しい息の下から、カイルはそう言った。
同じ箇所に斬撃を加え続け、武器破壊したというのだ。
「……甘い考えだな」
「戦い方は、人それぞれだろう」
「パパー」
横合いからかかった声に二人が向くと、そこにはジュードとシュフィ、それにティティスがいた。
「ごめーん、お姉ちゃんに負けちった」
緊張感のない声。ヴォルトは深いため息をついた。
その時、木々の隙間からランディが猛然と飛び出してくる。
「ランディ!」
「ああっ、カイルさん! 無事だったんですか! よかった!」
息も� �れ切れのランディ。
「ああ。ところでお前、別行動って何をしていたんだ?」
「……あれです」
指差したのは頭上。
響いたのは咆哮。
風を逆巻かせながら悠然と降りてくるのは――
「リオレイア……」
鱗に覆われた、剛健で攻撃的なフォルム。太い後ろ足。その先端にはナイフのような鈎爪が生えている。
リオレイアが、一同を威嚇するように口を大きく開けて咆哮する。中にはこれまた鋭い牙が並んでいる。
その全身は通常のように深い緑色ではなく、赤みがかった桜色だった。
監察局の命名に従えば、リオハートと呼ばれるゆえんである。
リオハートが2,3歩踏み出し、さらに吼える。
「なあ、ランディ。なんかひど く怒ってるようだけど、お前何したんだ?」
恐る恐る尋ねるジュード。
「いえ、別に。ひたすら逃げながら、閃光玉と音爆弾を十発ずつほど投げつけただけです。あとは注意を引 くために石ころを山ほど」
「……そりゃ向こうさん、ナメられてると思って怒るぞ」
リオハートは地響きを立てながら、スズナめがけて歩いてくる。
カイルが傷ついた体を引きずってスズナの前に出ようとした、その時。
「ワウ――――ッ…………」
鳴き声が、響く。
リオハートの歩みが、ぴたりと止まる。
力強くもなく、かといって弱々しくもなく。
優しくもなく、哀しげでもなく。
ただ、今この時よりこの世界で生きる事を主張する、無垢な生命の息吹。
スズナが抱えていた卵に、次々とヒビが入っていく。
スズナが慌てて、卵を地面に下ろすと――
小さな頭が、卵の頂上から顔を出した。
次々と殻を口� �割り、足で押しのけ、ころんと転がり出る。
大きさはだいたい柴犬くらいだ。
頭に比して小さな手足と体。おまけ程度の短い尻尾。全体的に丸っこくて、ころころとした印象。
そしてその色は、淡い桜色だった。
「生ま……れたぁ…………」
震える声でつぶやき、スズナは崩れるように両手を地面についた。この時ばかりは、リオハートが目の前 にいることなど念頭になかった。
小さなリオハートは、目の前のスズナと、自分の数百倍はあろうかという巨躯を交互に見比べる。
「あ……」
スズナは気づいた。
この子とは、もう一緒にいられないという事を。
哀しみが、胸を締め付けてくる。
でも――
「……行きなさい。お前にとっても、それが一番いいんだから」
自分を不思議そうに見つめ返してくる幼い飛竜に、スズナは涙をこらえて言った。
母親であるリオハートは動かなかった。ただ生まれたばかりの我が子を一心に見つめ、呼びかけるように 低く唸っている。
それでも、小さなリオハートは迷っているようだった。
か細く喉を鳴らしながら、スズナを見つめていたが――
くるっと踵を返し、おぼつかない足取りで母親に向かって歩いていく。
「あ……」
リオハートは頭を地面につけ、我が子を迎えてやる。小さなリオハートは母親の頭に甘えるようにまとわ りつくが、母親は喉を鳴らしながらされるがままだ。
普段見ている、猛々しいばかりのリオレイアとは、まったく印象が異なった。
「スズナ……」
「いいんです。あの子とお母さんは、強い絆で結ばれてるんですから」
シュフィの言葉を遮り、スズナはうつむいて言った。
「……私なんて、ここまであの子を運んだだけですし。お母さんには、及ぶべくも――」
その時、スズナは不意に膝が重くなったのを感じる。
座り込んだ膝の上。
小さなリオハートが、前足をスズナの膝にかけていた。
「……ぁ」
くりくりした大きな瞳が、一心にスズナを見つめていた。
こらえられなかった。
スズナの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。< br/> その涙を、小さなリオハートはそっと舐め取った。
泣かないで――そう言うかのように。
触れたかった。出来る事なら、抱き締めて別れを言いたかった。
母親は、ただスズナを見つめている。その瞳に獰猛さはなく、この子を抱き締めても怒らないような気が した。
だがスズナは、思わず伸ばしかけた両手の指をぎゅっと握って止める。
でも、それはダメだ。
うまくは言えないけれど、自分が立ち入ってはダメなのだ。
だから。
「……ありがとう」
スズナは、それだけを言った。
小さなリオハートはスズナの膝から離れると、よちよちと母親のほうへ戻っていく。
もう、振り返らなかった。
「……目で見るのは初めてなのに、分かるんだな、スズナの事」
カイルが言った。
リオハートは、優しく我が子の首根っこをくわえる。
そして、桜色の翼を大きく広げた。
ゆっくりと上昇していく〈地の女王〉。
別れを告げるかのように、一際大きく鳴く小さなリオハ ート。
「さよなら……」
飛び去っていく親子を見上げながら、スズナは微笑んでつぶやいた。
「……で、どうするんだ?」
カイルはつぶやきながら、ヴォルトたちを振り返る。
シュフィはスズナに寄り添って涙を流しているし、ティティスとランディは人目もはばからずに大声で泣 いているし、ジュードはひたすら上を見ながら『雨が降ってきやがった……』とかつぶやいていた。
はっきり言って、戦闘など続けられる雰囲気ではなかった。
ちなみにこの場で泣いていなかったのは、カイルとヴォルトだけだったりする。
薄情なのではない。リーダーはいろいろとツライのである。
「依頼の品は元の鞘。あんたは武器なし。河で助けてもらったことだし、ここは貸し借り無しで退くのがお 互いのためだと思うのだが?」
「……確かにな。今日のところは退くとしよう」
ヴォルトは〈破獄飯綱〉の頭と泣きじゃくるティティスを両脇に抱え、踵を返す。
「決着は、いずれまたな」
そう言って、ヴォルトはジャングルへと消えていった。
「……ほほう、失敗したのか」
薄暗い倉庫街の一角。ヴォルトとティティス、それと依頼主である王立飛竜生態保護監察局の局長は依頼 の報告をしていた。
ヴォルトたちに卵を奪うよう指示したのは、事もあろうにスズナの上司だったのだ。
スズナの動きが全て漏れていたのは、このせいだったのだ。
局長は出っ張った腹をこすりながら、ふんぞり返って言った。
「当然だが、報酬は無しだ」
「分かっている」
「同額の違約金を払ってもらおう」
「……致し方ない」
「まったく、凄腕だと言うから期待しておったのにこのザマか。せっかくオムレツが食えると思ったのに」
その言葉に、ヴォルトの口調が変わる。
「オムレツ? 今、貴様、オムレツと言ったか?」
「ああ、前に研究資料のレイアの卵を書類改ざんで手に入れてな、食ったのだ。美味かったぞぉ。桜色とい うからどんな味かと期待したのにぶほあ!?」
肥満した局長の体が倉庫に激突。歯が数本まとめて折れ飛び、地面に崩れ落ちる。
「パパりんったら、カ・ゲ・キ♪」
ティティスが嬌声を上げる。
「貴様の部下は、命懸けであの卵を母親に返したのだぞ……! それに比べて貴様は何だ!? 安全なところ でぬくぬくしていた上に、事もあろうにオムレツだと……! 腐りきったブタめっ!!」
ヴォルトは突き出した拳をわなわなと震わせながらつぶやいたが、当の局長は気絶してピクピク痙攣して いる。聞こえているとは到底思えなかったが。
「……行くぞ、ティティス」
「あいあいさ〜♪」
「本当に、お世話になりました」
街の定期馬車乗り場で、スズナは深々とお辞儀をした。
「ジュードさん、あの時はキツい事言っちゃってごめんなさい」
それを聞き、ジュードはきまり悪そうに肩をすくめてみせる。
「いいさ。俺も言いすぎた」
「ランディくん、リオハートをひとりでおびき寄せてくれてありがとう」
ランディは照れたように頭を掻いた。
「いいですよ、あれくらいチョロいです」
「シュフィさん、一緒に泣いてくれてありがとうございました」
「言わないでよ、恥ずかしいから」
シュフィは白い歯を見せて微 笑む。
「カイルさん……」
助けてもらった事、ドスイーオスから守ってもらった事、単純なお礼の気持ち――言いたい事は山ほどあ るのに、うまく言葉にならない。
すると意外な事に、カイルの方から口を開いた。
「俺たちは、あんたの手助けをしただけだ。あんたが覚悟を持っていなければ、依頼は達成できなかった。 これからも、あんたはあんたなりの方法で戦っていけばいい」
戦い方は人それぞれ――そう言ったのは、スズナ自身だ。
「はい……」
それを聞き、スズナは静かに頷いた。
その時、定期馬車が滑り込んでくる。
スズナはもう一度頭を下げると、馬車に乗り込んだ。
と、ドアが閉まる寸前、スズナが振り返って言った。
「カイルさん! 洞窟での事、忘れませんから――」
途中でドアが閉まり、馬車がゆっくりと動き始める。
馬車を見送りながら、ジュードがぼそりと言う。
「カイル……洞窟での事って、何だ?」
「ああ、それは――」
「まさかお前スズナと!?」
『ええーっ!?』
ランディとシュフィが同時に叫� �。
「いやー、最初の妊娠は誤解だったが、今度はマジなのか? 心なしか、スズナのやつ恥ずかしそうだった しな」
「いや、それは違う。違うぞ」
事実は無いのに、なぜか焦りながらだらだらと滝の汗をかくカイル。
「……カイルさん……ヒドイですよ……」
シュフィの顔を見ながら、オロオロするランディ。
「夜だったし狭くて暗い洞窟の中で二人っきりってことはまさかでもでもそんな事しないよね私はカイルを 信じてるもんでもでもでもあの二人の間に流れた特別な空気は何なんだろうやっぱりもしかしてはうあう……」
シュフィは意味不明なことを口走りながら頭を抱えている。
スズナ本人がいれば誤解を解くこともできただろうが、彼女を乗せた馬車は既に街の門を出て行ってしま った。
「まったく、しょーのねえ奴だぜ。なあ、シュフィ……?」
苦笑気味に言いながら、シュフィを振り向くジュード。
言われてそっちを見れば、さっきまでブツブツ独白していたシュフィが真っ白になって石化していた。
『……シュフィ?』
反応なし。
一同がぽかんと見つめる中で、シュフィは後ろにふらりとよろめき――
ごちんっ!
立っていた時刻表に後頭部を思いきり激突させ、そのまま動かなくなった。
「やべっ、やりすぎたっ!」
「ヤバいですよジュードさん!」
「……からかったのか? ……ジュード……貴様……」
「カイル睨むなっ! 〈新月〉から手ェ離して手伝えっ!」
くるくると目を回してい� �シュフィを取り囲み、あたふたする役立たず達なのであった。
【終劇】
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